生きるために必要だった「最悪で最愛のパートナー」

おちょこさん
50代女性
#拒食 #過食嘔吐
仕事をしつつ老後の心配もしつつという、あの頃の自分には想像がつかないであろう日々を過ごしている。16歳の頃から約30年間、摂食症とともに生きてきた。あの頃、繰り返した過食嘔吐の症状は私にとって「最悪で最愛のパートナー」だった。
私の感情は
“邪魔なもの”でしかないのか?
おおよそ子どもらしくない
子どもだった私
幼少期からふとした時に漠然とした不安が沸き上がる。雨が降り始める前の湿気を含んだ空気のにおいに…、夕刻に家々から漏れてくる電灯の明かりに…。
おおよそ子どもらしくない子どもだった私は、そんな自分の感覚があまり大人に好まれないことにうすうす気づいていた。大人が喜ぶ「無邪気な子ども」的な演出のためには、私は私の感情が厄介だと思っていた。
そして必死の空回り
「女の子だから」「女の子らしく」。よく親に言われた言葉だ。これにはもちろん今も違和感と反発を抱いている。一方で、当時は「女は女らしく男は男らしくは当たり前」も刷り込まれ内在している身としては脳内大混乱。押し付けられる「らしさ」をおかしなことだとは誰も言ってくれない。私のいろんな感情は大人にとっては「そんなことは考える必要がない」もののようだった。自然と湧き上がる自分の感情を、いかに感じないようにするかが私のミッションになっていく。生きるためよ!!なんてことは当時思いもしないし、周りの大人からするとそんなことは頼みもしていないし、無駄なことだと笑われるかもしれない。でも、子どもは時にこうした必死の空回りをするものだと思う。
家族という幻想…
私が私でいられない場所
両親は決して悪い人たちではない。きょうだいもそう。ただ、私が私としてそこにいられない。今思えば、「そのままの私」では家族に受け入れられないと感じた私が、私をしんどくさせるのは自分の感情だと考えて、必死で自分の感情を禁じてきたかわいそうな子どもだったのだと思う。
親子はわかり合えるというのは幻想だ。でも、過去に対立をしたとしても年月を経てお互い歩み寄って…という結末が、私と同じような経験のある人のもとに訪れる日があったらいいなぁと願う。私なりの努力と空回りの結果、私は子どものとき以上に今現在、親が嫌いだし親に嫌われているけれど。
青春をこじらせて…
私はずっと成績が悪かった。父は自分が「アホ」と言われていたから、自分の子どもが頭がいいわけがないと冗談のようによく言い、子どもに勉強とうるさく言わない“そこそこ理解ある親”っぽいアピールがなされていた。もちろん親のせいだけではないのだが、私は自分はやればできるんだなんて思ったことがまったくなかった。当然進学先は高校名を言うと「あ~、近くていいねぇ」と同級生の親に気を遣わせてしまう偏差値底辺学校。ところが高校の先生方との出会いで「アホ」の呪いは解けていく(感謝です!!)。
とはいえ、そうなったらなったで求められる像を演出する癖がついている私は、勝手に勉強のプレッシャーや期待を背負い、恋愛での戸惑いなども重なり…と青春も拗らせる。高校2年生の時に体重の減少に気づいた。
初めて自分一人の力で
コントロールできるものを発見!!
体重減少
それまで体型なんて気にしたこともなかったのに、やせることが次第に楽しくなって体重は約半年間でかなり減っていた。今思えば、初めて自分一人の力でコントロールできるものを発見した気がして安心したのかもしれない。
拒食症状から半年ほどで今度は「食べたら吐く」を繰り返す過食嘔吐へと移行していった。コントロールできなくなった食への衝動に、自分自身が情けなく、恥ずかしかった。誰にも知られたくない。でも本当は誰かに助けてほしかった。
家族って?!
拒食でも過食嘔吐でもそんな私に両親は苛立っていた(当然だろうとは思うが)。私を責めることもあった(ここは当然だとは思いたくない)。執念深い性格なので、このころに言われて嫌だった父の言葉の数々はこれから先も絶対忘れない気がする。不眠に苦しむ私に「人間が寝られないなんてことがあるか!」と怒った父は数年後に自分が不眠になると、そのつらさを家族が理解しないと怒った。永遠に眠ればいいのにと思った瞬間を今も忘れない。以前私に言った言葉を1ミリも覚えていないようだった。それから、…と書き出すと長編作になりそうなのでまたの機会に♡。人は加害は忘れやすいが被害は忘れないものだ。私も含めて。
最悪で最愛のパートナー
すがっていないと生きられなかった
出口の見えない
過食嘔吐の日々
出口の見えない過食嘔吐の日々。高校3年生の時に受診した内科で、精神科に行くよう勧められた。少し明かりが見えた気がした。精神科で「ノイローゼ」と診断されたときは私のせいでなく病気のせいと言われたようで心底ほっとした。しかし、それも一瞬で「きょうだいが結婚する時の障害になる」との父の見解?(偏見よね)で継続受診はかなわなかった。
過食嘔吐は止まらないし、いつも感情はぐちゃぐちゃだしで、30歳までに死のうとずっと考えていた。過食嘔吐は死にたい要因のトップに居るという最悪な奴なのに、過食嘔吐することで今日一日が生きられる。過食嘔吐は生きていくための最悪で最愛のパートナーだった。過食嘔吐以外に自分にはすがれるものが皆無だったから。
私の実家は心療内科
家族に精神科受診を認めてもらえず途方に暮れていたころ、書店で調べて(本買わなくてごめんなさい)心療内科の存在を知った。「精神科が駄目でも心療内科はいけるかも。ネーミング的に(偏見があるって悲しい)」と思い切って親に受診したいと伝えた。心療内科で出会ったのが、18〜41歳までの23年間お世話になる主治医だった。初診で入院が決まった時は、やっと救われた気がした。
高校の卒業式も病院から出席して病院に戻ってきた。お子さんのいる同室の患者さんに「親がかわいそう!」と怒られたこともあった(言葉憎んで人を憎まず)。それでもあの頃は病院にいたかった。入院生活は良いことばかりじゃなかったけれど、病院だと不眠症のはずの自分がびっくりするくらい眠る。「この子は病院が実家だから」と主治医が言ってくれたことが懐かしい。
自分を育てなおす
今でも主治医の存在は本当に大きい。日々あったこと、こんな感情を抱いたということを主治医に話した。先生はいつも1時間くらい時間をとって話を聞いてくれた(これは例外的だろう)「否定されないんだ」「感情は殺さなくていいんだ」と一つひとつ学んで自分を見つけていったように思う。ずっとずっと何十年も根気強く付き合ってくれた。両親が亡くなっても泣かないだろうけれど(不謹慎だと思う人もいるだろうけど嘘はつけないのでお許しを)、主治医が亡くなるのは嫌だ。一緒に私の育て直しをしてくれた人だと感謝している。
「自分が他人の望むようにならなくても、それは自分のせいではない」と主治医との出会いで思えるようになった。
私に栄養をくれた人たち
複数回の入院生活では、忘れられない出会いもあった。病気でもう長くはなかった美容師さんは姪っ子のようにかわいがってくれた。私が大学生になる時に自宅兼サロンでパーマをかけてくれたこと…、彼女の病気が進行して食欲がなくなる中でも、食事に誘ってくれて海を見ながら一緒にご飯を食べたこと…今でも大切な思い出だ。
末期がんの看護師さんともたくさんおしゃべりをした。「自分の人生なんだから、自分の思うとおりに生きていい」と言ってくれた。退院して会いに行った時にはすでに亡くなっていたけれど、わたしがずっと欲しかったものをくれた人たちだったように思う。
二人のくれた言葉たちをすぐに理解できたわけではなく、たいがいやらかしてきてやっとわかってきたことも多いけれど。
愛情の供給源は
家族だけではない
こういった出会いもあるのだから人生はきっと悪いことばかりではない。愛情は家族だけではなく第三者からでも得ることができる(でも本当は家族にも愛されたかったな)。勉強していけば、悪いのは自分ではなくこの社会の構造にかなり問題があるというところにも気づけて。そうすると死んでる場合じゃなくなってきた。
今つらい人は、心の中で誰かを責めたり恨んだりしていいと思う。その怒りをまき散らしてはいけないから発散の仕方には工夫がいるけど。私は嫌なことされたと感じたら、「バチが当たりますように」とちゃんと祈れるようになった。
悩み苦しんできたことは、
すでに本に書かれていた!
私の違和感は
違和感として存在していい
本から学ぶことは多かった。特に臨床心理学や社会学の本は参考になり救われた。私の感じた違和感も悩んだり苦しんだりしてきたこともずっと前からたくさんの人が考え書いてきたんだと思ったら、強力な味方ができたような気がした。「私の違和感は違和感として存在していい」「社会の問題でもあったんだ」と気づいた。(なんで学校でこういうところを教えないのか不思議だ。社会の在り方に疑問を呈するのは資本主義の基本だろうに…。)
「ByeBye(;_;)/~~~」
最悪で最愛のパートナー
以前は過食嘔吐の症状さえなくなればという思いが強かったけれど、生き延びるためにはそいつが必要だったのだと今は思う。もっとましな相手はいなかったのかと過去の自分に問いたくもなるが…。
症状に振り回されなくなってだいぶ経った。ふとした瞬間にまたよりを戻してしまうのではないかと怖くなる時もある。「最悪で最愛のパートナー」とはスパッとは別れることは難しい。自然消滅が理想なのだと思う。
自分の傷が一番痛いと
言える場を!!
いつ再び出会っちゃってもおかしくないのがこの症状。そうなった時に(そうでない時にも)つながれる場所、つながれる人がこの社会に存在することが重要だと思う。身を置く場所を増やすことで、今いるこの場所が全てではないと思えるから。依存先を増やすことは大切なことだ。
人は人によって傷付けられるけど、そこから救ってくれるのもまた人。大人になったら自分の周りを付き合いたい人で固めていくことは多少はできる。つらい時はどうしても人と比べてしまうけど、“つらい”“苦しい”は比べなくていい。「みんな自分の傷が一番痛いよね」と言いあえる場所が、すべての人にあればいいなと思いながら、私は今日も生きている。
※掲載している方は全て仮名です。
※ここでご紹介している内容は、あくまでも個人の体験談です。症状や感じ方、回復過程には個人差があり、必ずしも全ての方にあてはまるものではないことに、ご留意ください。また、医療的・専門的な助言を代替するものではありませんので、必要に応じて医療機関や専門機関へご相談ください。
※診断名の変遷をふまえ、体験談中の表記はすべて「摂食症」に統一しています。過去に「摂食障害」と診断を受けられた方の体験についても、現在の診断名に基づき「摂食症」と記載しています。
