摂食症ともの会

みんなの 摂食症 体験談

幸せの価値基準は、偏差値と体型だけじゃない

うさっこさん

20代女性

#拒食 #過食

優秀な兄と比べられるプレッシャーの中、勉強ができてスタイルが良い自分でいなければと、常に自分を追い込んでいた。発症後は、解決の糸口を探して試行錯誤の繰りし。今、私を評価する軸は多彩になり、偏差値と体型だけが幸せの価値基準ではないと思えるようになった。

勉強ができてスタイルが良い
ことが、私のアイデンティティに

目の前には常に高い壁

幼少期から、「何でもできるようにならないと」と言われて育ってきた。愛情あってのことだと今は理解しているけれど、優秀な兄を誇る両親を見て育つプレッシャーは、やっぱり大きかった。兄が勉強で結果を出すたびに喜ぶ両親の姿を間近で見て、自分も勉強で結果を出さなければと思い、勉強に打ち込むようになった。負けず嫌いな性格もあって、努力すればできるようになる、むしろ、そうならないといけない!と自分を追い込んでいたのだと思う。

ほめられたくて、優等生の役を演じていた

「頭いいね、バレエやっててスタイルいいね」は、中学校でほめられた時の言葉。ほめられる度に理想の自分像が作られていき、次第にそれを演じなければという心境になっていった。可愛くてスタイルがよい友達は、友人関係もうまくいっているように見えて、自分もそうならなければとも感じていた。

親や周囲からほめられたい気持ちが強かったと思う。家でも学校でも、理想の自分を演じるうちに、本音を明かせなくなっていた。友達との会話でも、発言や表情一つひとつに気をつかい、どう見られているか、どうあるべきかを常に考えていた。

「やせたね」は「可愛くなったね」

拒食の始まりは、高校1年生。食事量が徐々に減って、体重が少し落ち始めたとき。周囲からの「やせたね」は、「可愛くなったね」と言われているようで、やせることをやめられなくなっていった。体重が落ちることは努力が報われたような達成感があった。私はだんだんと、その数値に依存するようになっていった。

高校2年生になると、コロナ禍で授業がオンラインになり、自宅でひたすら勉強と運動をする生活が続いた。当時すでに摂食症についての知識はあり、「摂食症になってしまった」という自覚もあった。ここで踏みとどまるか、拒食に突き進むかという二択が思い浮かんだが、その頃には体重の数字に依存しており、踏みとどまることはできなかった。

スタイルがよく、すらりとしていことが、アイデンティティになりつつある頃、肩を触った友人に「骨じゃん!!」と驚かれたことがあった。当時の私は、これを自分の体型についての好意的なコメントとして受け止めた。相手がほめているわけではないとわかっているのに、嬉しい気持ちを抱いた。

「生理きてる?やせすぎてない?」

親や先生からも、心配そうに見守られている気配があった。とはいえ、鏡を見てもやせているという自覚はなく、このぐらいは問題ないなと思っていた。

拒食から抜け出すきっかけの一つになったのは、親友からの声かけだった。「生理きてる?やせすぎてない?」心配そうにかけてくれたその言葉に、はっとした。家族や先生からの声かけは、いまいち響かない部分があったが、友人からの言葉は強く胸に響いた。

勉強で結果が出ないストレス

こうして拒食は治まることになるものの、今度は過食の症状があらわれた。下校後にスーパーで好きなだけ食べ物を買って、家で食べ続けことを高校3年生の秋頃~卒業まで続けていた。大学入学後も、家にあるものをとにかく食べ続けてしまうことが続いた。

拒食と過食、どちらも勉強で結果が出ないストレスが動機になっていた。拒食期には、毎日体重計に乗って、体重が減っていることを確認し、安心感を得ていた。「努力すれば必ず結果が出る」ことが、私を安心させてくれた。

食べている時だけが幸せ

一方、過食期は、「もう頑張れない、肩も頭も痛くて勉強できない…」という焦りの中で、食べている時だけが唯一、幸せだった。過食することで空っぽな気持ちを埋めていた。けれどその幸福は長く続かず、食べ終わったあとには、強い罪悪感が押し寄せた。過食をやめたいのにやめられず、朝から晩までほぼ一日中、過食する毎日。勉強も手につかず、うつ状態にもなった。

過食の渦中では、食事をコントロールすることが難しく、規則正しく睡眠をとる、運動をするなど、食事以外の面で健康につながりそうなことを模索した。時に、いつまで経っても突破口が見つからない状況に、焦ったり不安に襲われたりもした。

頑張っていないと
自分が自分でなくなってしまう

振り返って思うのは、中高生の頃の自分には心の余裕がなく、本当に苦しかったということ。

定期テストでは点数がいいのに、模試で思ったほどの結果が出ない。私は「階段」を必死に上っていて休憩もないのに、他の人たちは「エスカレーター」で涼しい顔をしてどんどん先に行ってしまう。そんな追い詰められた心境になることもあった。

周囲や親に認められたくて、時には肩こりがひどくなるほど勉強をしてしまう。普通なら痛みが出れば諦めたり中断したりするのだろうけれど、私はそうはしなかった。できなかった。勉強をし続けないと自分が自分でなくなるぐらい、がむしゃらだった。

回復の糸口を探して、
自問自答とアクションの繰り返し

自問自答し、気持ちをノートに記録

浪人を経て入学した大学で、大学のカウンセラーに相談できると知った。長年、誰にも本音を話してこなかったので、やっとカウンセラーに悩みを話せた時は安堵した。
その中で、思考を整理し、ノートに記録した。例えば、「なぜ過食をしてしまうんだろう?」という問いから出発して、「過食で幸福感を得られるから」と答えると、「私にとっての幸福とは?」と問いをたて、「勉強ができること、人に認められることが幸福」だと答える。

こうして自問自答を繰り返す中で、「幸福の定義や価値観を改めた方がよいな」と気づくといった具合に、考えを整理していった。
ノートに書くことで、自分の考えを可視化して客観視でき、「前回より考えが深まっているな、改善を感じるな」と気づくことで、安心感が得られた。

あきらめずにアクション

こうして考えが整理できると、実際にアクションに移す。「今日は、朝の過食をやめてみよう」といった日々のアクションから、「大学を休学する」など大きなアクションまで、様々なものがあった。
その中で、アルバイトを始めたことは、視野が広がるきっかけになった。学校での人間関係が中心だった生活に比べて、色々な人と交わる中で、様々な価値観があることを知った。趣味のバレエに打ち込み、周りにどう思われるかを気にせずに、自分の好きなことをするのも良かった。

家族への手紙

たくさんのアクションの中で、「家族に手紙を書く」は、すごく大きなことだった。怖かったけれど、母への手紙は母の目の前で読み、父には手渡しをした。必死で努力してもほめられず辛かったこと、結果ではなく過程をほめてほしかったことなどを伝えた。そんな幼少期からの思いに母は泣いたし、自分も泣いた。父からは返事をもらった。厳格な父の当時の立場や心情が分かった気がした。持っていた荷物がやっと軽くなった感じがして、その翌日は過食したい気持ちが消えた。それ以降、過食が完全になくなったわけではないが、過食の衝動はずいぶん小さくなった。

重たい鎧を脱いだ先に見えた世界

回復へのエネルギーを蓄えていた時間

現在も、症状は全くなくなったわけではないけれど、以前よりはずいぶん軽減した。過食してしまう日があっても、「まあいっか」と自分を許せるようになった。

かつての私は、辛いことがあっても周りに話すことができず、自分の気持ちに蓋をして生活してきた。その結果が、摂食症という形に現れたのだと思う。だからこそ、自分と向き合い、その時々の気持ちを整理することは大切だった。蓋をしていた気持ちの一つひとつに向き合って、捉え方を変えたり、アクションを起こしたりすることで、少しずつ状況が好転してきたと思う。

アクションを起こすことには、大きなエネルギーが伴う。過食期は苦しかったけれど、今振り返ると、あの時間はアクションを起こすための体力や勇気を、内側で蓄えていた時期だったのかもしれない。

世界の見え方は自分次第

回復ってどういうことかなと考えると、鎧を少しずつ脱ぎ捨てていく作業のようにも思う。それまでは、完璧な自分を守るために、重たくてかたい鎧を身にまとい、雨風や外敵から必死に自分を守っていた。それを取り払い、少しずつ本来の自分をさらけ出すことができるようになると、「こんなにも多くの優しい人たちに囲まれていたのだ」と気づくことができた。
かつては、人の優しさなんて煩わしいと思っていたけれど、今はその優しさが心地よく感じられる。人と関わることも、一時は難しかったけれど、人と関わっても大丈夫かもしれないと、今は思い始めている。自分の見方次第で、世界の見え方はこんなに変わるのだ。

自分を認めてあげられる軸は、
いっぱいある

現在は親元を離れ、シェアハウスのようなところに住んでいる。インターンシップに行ったり地方を訪れてみたりと、新しいアクションを続けている。

人と交流する中で、偏差値一辺倒の考え方が、がらりと変わった。偏差値や体型、友達の多さというような評価軸以外に、自分を認めてあげられる軸が、本当はいっぱいある。努力して偏差値や体型を追い求めることが、幸せになる方法だと思っていたが、努力しても思うような結果が得られなかったからこそ、もっと豊かな、さまざまな幸せの価値観を手に入れることができた。

この先も、まだ課題は多そうだけれど、「つらい状況にいても自分なりに考えて行動すれば、状況は必ず好転する」。そう思えることが、きっと、これからの私の支えになる。

※掲載している方は全て仮名です。

※ここでご紹介している内容は、あくまでも個人の体験談です。症状や感じ方、回復過程には個人差があり、必ずしも全ての方にあてはまるものではないことに、ご留意ください。また、医療的・専門的な助言を代替するものではありませんので、必要に応じて医療機関や専門機関へご相談ください。

※診断名の変遷をふまえ、体験談中の表記はすべて「摂食症」に統一しています。過去に「摂食障害」と診断を受けられた方の体験についても、現在の診断名に基づき「摂食症」と記載しています。

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