いま生きているからこそ、見えてくる光がある

ぶるーあいさん
50代女性
#過食嘔吐
複数の依存症を抱え、摂食症を含めて一つひとつの治療に取り組んできた。苦しい時にはいつも、「一度人生をあきらめかけた私が生かされていることには、必ず意味がある」と自らに言い聞かせながら進んできた。生きていれば必ず、光のさす未来が訪れると信じて。
食べることが大好き。
過食に加えて複数の依存が定着
ダイエットを試す中で
摂食症の始まりは、体型が気になり、様々なダイエットを試し始めたことがきっかけだったように思う。もともと細身で活発な性格。中学では運動部だったこともあって、たくさん食べても運動で消費されていた。高校の部活は中学とは違い運動量が少なく、そうすると食べる量のほうが上回って、次第に体型の変化が気になり始めた。流行っていたダイエットを次々と試していた。
ある日、友達から「食べても吐いたらやせられるよ」と聞き、その方法を試してから、一気に過食嘔吐が始まることになる。
「食べ吐き」が習慣化し、
タバコやアルコールにも依存
昔から食べることが大好き。だけど、たくさん食べると太る。太りたくないから吐く、そうして「食べ吐き」が定着した。好奇心から試してみた嘔吐がだんだんとうまくなり、習慣化するのはあっという間だった。
高校卒業直前にリゾートアルバイトに参加。そこで後年、摂食症とともに依存となるたばこを教わった。大学生になると一人暮らしになり、接待を伴う飲食店でのアルバイトでお酒を飲むことも覚え、過食嘔吐がますます止まらなくなった。生活費のために毎日働き、夜中に過食嘔吐する生活が1年半以上続いて、次第にアルコール依存も定着してしまう。
家族が寝静まった深夜に
過食嘔吐を繰り返す日々
過食が続いて金銭面で苦しくなり、体調を崩すことも増えたことで学校生活がままならなくなった。そのため、大学2年の途中に実家からの通学に切り替えた。実家では、家族が寝静まってから過食と嘔吐を繰り返し、お酒も毎晩のように飲んだ。それまでとは違う業界でのアルバイトを始めたり、交際相手ができて深夜に帰宅する生活になったりしても、過食嘔吐は続いた。
体重の変化も大きく、中学から高校にかけてかなり増えた体重が食べ吐きが定着すると、数年間で一気に病的な低体重になった。就職活動期に入り、親にも友達にも苦しい症状について明かせない日々は続いた。
苦しいけれど健康になれない…
自暴自棄に
摂食症を打ち明けてみると
ある日、摂食症に悩んでいることを、大学の就職課で打ち明けた。先生は親身になって話を聞いてくれ、その頃から少しずつ、周囲に摂食症のことを打ち明け始めた。当時の交際相手にも、過食嘔吐をしていることを話したところ、思いのほか軽く受け入れてくれた。
深夜の過食嘔吐でお風呂が詰まり、修理が必要な状態になったことがあった。これはもう隠しきれないと感じて、家族にも症状について打ち明けた。親は、意外にもあたたかく受けとめてくれた。その後、病院を受診するが、当時受診した病院では精神安定剤などの処方だけで、過食嘔吐の症状改善には至らなかった。
入退院を繰り返す日々
卒業後就職するも体力が続かず、職場環境も合わず、数か月で退職。周囲が見てわかるほど、がりがりの体型だった。家族は当初、つらそうにしたり、止めようとしたりしたこともあったが、徐々に見守るようになった。病院で命の危険がある低体重と診断され初めて入院した。首から24時間点滴を入れたり、投薬治療も開始したりして睡眠薬の処方量が増えていった。退院できる目標値まで体重を増やす必要があったが、食べると太る恐怖から、どうしても体重を増やすことができなかった。その後も、複数の病院・診療科にかかり、入退院を繰り返した。
複数の依存症を抱えて
入院中、摂食症で闘病していた仲間が数人亡くなる経験もしている。自分も自棄になっていたのだと思う。退院してもリストカットや自殺未遂を起こして、かなり不安定な状態だったと思う。この頃にはアルコール、たばこの依存に加えて処方薬への依存も始まった。
アルコール依存症の治療もしていたが、退院すると飲酒をしてしまい、過食嘔吐も続いている状態だった。その後、断酒会や自助グループ、集団カウンセリングを受けて過ごしていたが、27歳の時に自殺未遂をしてしまう。
誰かと一緒に、
一つひとつの積み重ね
生かされるのも大変
重篤な状態から目覚めると、ベッドの周りでみんなが泣いていて、何が起こっているんだろうという感覚だった。気が付くと手が動かず、声も出ない。人工呼吸器もついていた。左手指3本が全く動かなり、98%治らないと言われたが、リハビリを続けてなんとか動くようになった。
退院後はデイケアに通って生活リズムを立て直した。朝ご飯を食べて、なにげない時間を過ごし、昼、夜と食べることができるようになっていく。そうして少しずつ、買い物をする、仕事に出る、といった日々の生活を整えていけるようになった。渦中にいる時には、人と話せないし、部屋から外に出たくない、それなのに過食嘔吐するエネルギーはある、そんな自分への嫌悪が強かった。
少しずつステップアップ
回復の道のりは本当に苦しく、複数の依存を一つひとつ取り除いてきた。摂食症であれば、過食嘔吐を今日一日やめてみる、また次の日もやめてみるといった具合に。その中で、吐かなくても眠ることができる、という体験を積み重ねた。一人で取り組むのはしんどいので、自助グループに通いながら、誰かと一緒に取り組んだ。そうすることで、徐々に生活のリズムが整い、次のステップへ進んでいけているという実感を持つことができた。
家族が次第に良い関係に
思い返せば、父はアルコール依存症で父母の不仲などもあり、勉強も運動も受験も人一倍頑張ってきた10代だった。20代になり、就職したら親を守るんだ、という気持ちで進んできた。その自分が、摂食症を発症し、働けないもどかしさ、症状が改善しない苦しさに加え、これまで我慢してきた感情などが爆発し、入院治療中には親にひどくあたることもあった。
父はその後、断酒会にも一緒に参加し、一切のアルコールをやめた。母もカウンセリングの場に同席し、当事者家族の会にも参加してくれた。結婚し、夫という第三者の介入も影響したのか、家族それぞれが次第に良い関係を築けるようになった。
周囲への感謝と経験を糧に、
よりよく生きることを探求
どんな経験も糧になる
多くの医療機関を受診するなかで、症状を聞くだけ、薬を処方するだけ、という医師にがっかりしたこともあったが、私はカウンセラーさんとの出会いで症状が大きく変わった。
回復するにしたがって、周囲への感謝も大きくなった。どんな症状の時もサポートしてくれた家族には特にだが、医療機関、自助グループ、それから今でも続いている友達との関係などもありがたい存在だ。周りの人にとても恵まれていると実感している。
現在は会社員として勤務し、仕事場面でも対話の重要性を感じている。治療や自助グループで取り組んできた「対話」が、こうして仕事含め自分の日常に活かされている。どんな経験も糧になる部分があるものなのだと思う。
Well-being―よりよく生きる―を探求して
会社で行われる健康診断では全項目でA評価。50代に入り、体が丈夫で仕事もできていることがとても嬉しい。キャリアコンサルタントの資格を取得した後、メンタルヘルスカウンセラーの資格も取得した。将来的には、同じような悩みを抱えている人たちの支援に関わっていきたいと考えている。
Well-being(ウェルビーイング)という概念がある。「身体的、精神的、社会的に良好な状態にあること」を意味する。自分の多感な時期にも、様々な場面で一人ひとりが「よりよく生きる」ためには、というこのような概念が浸透していたら、もっと自分らしく思春期を過ごせていたのかなと思う時もある。
生きていれば光が見えてくる。
なんとかなるよ
渦中にいるときは苦しかったが、もしあの時死んでしまっていたら、つらいままで終わってしまっていただろう。生きていればそのうち光が見えてくる、なんとかなるよと、当時の自分には声をかけてあげたい。
闘病中に出会った人の中には既に亡くなってしまった人もいる。私はこうして大人になることができたからこそ、変化を感じられているんだと思う。だから晴れた日には青空を見上げて、「頑張っているよ」と、かつての友人たちに声をかけながら進み続けている。
※掲載している方は全て仮名です。
※ここでご紹介している内容は、あくまでも個人の体験談です。症状や感じ方、回復過程には個人差があり、必ずしも全ての方にあてはまるものではないことに、ご留意ください。また、医療的・専門的な助言を代替するものではありませんので、必要に応じて医療機関や専門機関へご相談ください。
※診断名の変遷をふまえ、体験談中の表記はすべて「摂食症」に統一しています。過去に「摂食障害」と診断を受けられた方の体験についても、現在の診断名に基づき「摂食症」と記載しています。
