摂食症ともの会

みんなの 摂食症 体験談

「私は、そのままの私でいい」幸せになるために生まれてきたのだから

ちずこさん

40代女性

#拒食 #過食 #過食嘔吐

症状がなくなって、今年で17年目。あれだけ苦しんでいた過食嘔吐の症状は、今はもうない。3人の子育てと仕事をする日々の中で、回復は怖いことではなく、自由に、幸せにつながることだと感じている。そんな私の回復の鍵は「自己受容」だった。

私の家は、
私が頑張らないといけない場所

「あなたを産むためにお母さんはどれだけ大変だったか…」。親戚や両親から、常にそう聞かされていた。物心が付いた頃には、母はいつも具合が悪い人で、私が10歳の頃には入退院を繰り返すようになった。愛する母が「痛い、痛い」と苦しんでいるのは自分のせいなのではないか。病弱な母の姿を見ていると、自分の存在が母を苦しめているように感じられた。

父親は仕事で不在がち。きょうだいがいなかった私は、いつも一人で寝ていた。北海道の夜は寒くて、暗くて、一人で布団で眠るのが本当に怖かった。私の家はいつも私が頑張らないといけない場所だったように思う。

器械体操と受験のストレスが
摂食症のベースをつくった

厳しい体重管理と夜中の受験勉強

4歳から器械体操を始め、中学生になると強豪校の部活動に所属した。体操は厳しい体重管理が求められる競技。体重測定がある日に向けてダイエットをし、終わるとホッとして好きなだけ暴飲暴食をする。その繰り返しが習慣化し、それが摂食症のベースを作ってしまったのかもしれない。

受験のストレスも重なり、中学3年生になると過食の症状が激しくなっていった。夜中3時に起きて、親に買い込んでもらった食料を食べ続けながら朝まで勉強した。1晩でパン1斤を食べ切り、ピーナッツバターを1瓶空けてしまったこともある。お弁当を何個も食べても足りず、お菓子も好きなだけ食べ続けた。常軌を逸している量だったと思うが、母は何も言わずに私に食料を買い与えた。人には何も言えず言われるがままに動く、そんな母親だった。当時、自分が摂食症だという自覚はなかった。

友達と一緒に過食嘔吐

高校生になると拒食症がひどくなった。母が入院していたこともあり、ダイエットしていることは誰にも気づかれず、倒れるまで拒食をし続けた。髪の毛も抜けて、生理も止まった。死にそうになって「食べなきゃ」と頑張って食べるようになったら、今度は過食症へと移行していった。

仲のいい友達も摂食症で、「私は吐いているよ」と教えてくれた。それから真似するようになり、友達と一緒に過食嘔吐をしながら高校3年間を過ごした。友達がいてくれたから決して悲観的にならず、その頃は楽しんで摂食症をやっていたように思う。

過食嘔吐を繰り返す日々

高校を卒業し、私は舞台女優を目指して、東京にある演劇の専門学校に通うことになった。高校時代の友人ももちろんいない東京での一人暮らし。過食嘔吐で食費がかさみ、アルバイトを何個も掛け持ちした。寝る時間以外は働き、過食嘔吐を繰り返す。本当に大変な時期だったように思う。

追い詰められて、心から思った
「治したい」

両親の死で天涯孤独に

23歳の時、両親が立て続けに亡くなった。母は54歳、父は58歳。あれだけ病院に通っていたのに、治ることもなく早くに死んでいってしまった。天涯孤独になった私は、心身ともにボロボロだった。両親の亡くなった理由が知りたかった。「死にたい」と何度も思った。一人の部屋に帰りたくない。布団で眠るのが怖くて風呂場で寝ていたこともある。躁うつ病や強迫神経症も発症し、幻聴も聞こえ始めた。疲れ切って、過食嘔吐もしながら、よく生きていたなと思う。

「心の状態が症状として出ているんだ」

もうこの状態からただ抜け出したかった。ギリギリまで追い詰められたことで「治したい」と心から思ったのだと思う。それからトラウマセラピーを勉強するようになった。自分自身のことがどんどん分かり始めたような気がした。そして私が思い至ったのは、「過食は症状。心の状態が症状として出ているんだ」ということだった。

26歳でアーユルヴェーダを勉強しにインドに行き、そこでアロマセラピーやリンパマッサージを習った。インドにいる1カ月は不思議と過食嘔吐の症状は出なかった。

それでも食べることを止められず

トラウマセラピーを学ぶことで、過食を症状として捉えられるようになった。両親の病気についても自分なりに少し解釈ができるようにもなった。

とはいえ、すぐに症状から抜け出せたわけではない。その後、結婚、妊娠。妊娠中は体重管理を厳しく言われる。過食の症状が出ていた私は看護師に「食べすぎてはいけない」と怒られても食べ続けることをやめられなかった。どんなにおなかが苦しくなっても、血糖値が上がっても、食べることを止められなかった。

「もう仕方ない、できないんだ…」が鍵に

「治したい」。そんな強い意志があっても私にはそれができない。おなかに赤ちゃんがいるという現実から逃げることもできない。「もう仕方ない。できないんだ。どんなに頑張っても変えることができないんだ。もういいや」。できないことを変えようとしなくなったことが、私にとっての回復の鍵となったのだと思う。

そして臨月にバーベキューをした際に、みんなでおいしく食べた焼肉を外のトイレで吐いている自分が心底嫌になった。「私は何をやっているんだろう。いい加減にした方がいいな。もう止めた」と初めて思えた。過食嘔吐をしたのは、それが最後となった。

「そのままでいい」の言葉に救われた

自分の行動を後悔しないと決めて積み上げていくことがとても大事だと思う。小さいことでも、どちらか迷っても、選んだ自分に後悔はしない。

ずっと私は「このままではいけない」と思い続け、自分で自分を苦しめていたのだと思う。そんな私に、夫は「そのままでいいよ」という言葉をくれた人だ。その言葉がもっと早く腑に落ちていたら、私は17年も摂食症をやっていなかったかもしれない。

幸せを追求していいんだ

自分を責めることなんて1ミリもない。「私は大切にしていい存在なんだ」ということを落とし込んで、自分軸の人生にしていくことが大事。摂食症の症状をなくすことがゴールではない。どこまで行っても自分。幸せになるために生まれてきたのだから、幸せをとことん追求していいんだと今は思う。

「あなたはあなたのままでいいんだよ。頑張らなくても愛されるから大丈夫だよ。もう自分をいじめなくてもいい」。苦しんでいたあの頃の自分にそう伝えたい。「そのままでいい」と言ってくれる人が、今、症状に苦しむ人の傍にいてくれたらいいなと思っている。

※掲載している方は全て仮名です。

※ここでご紹介している内容は、あくまでも個人の体験談です。症状や感じ方、回復過程には個人差があり、必ずしも全ての方にあてはまるものではないことに、ご留意ください。また、医療的・専門的な助言を代替するものではありませんので、必要に応じて医療機関や専門機関へご相談ください。

※診断名の変遷をふまえ、体験談中の表記はすべて「摂食症」に統一しています。過去に「摂食障害」と診断を受けられた方の体験についても、現在の診断名に基づき「摂食症」と記載しています。

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